理論社

第17回

2021.01.15更新

自分の道を見つけたい! 第17回 G1さん篇5

さて、G1さんのケースでは、お父さんが本屋でたまたまフリースクールの冊子を見つけたことでハーモニィカレッジに出会うことになります。
そして遊びに行ってみたら、もともと馬が大好きなG1さんのハートに火がついて、G1さんのほうから「ここに行きたい!」と言いだすという流れになります。
この時点で、本人の強い希望で「中学校に通う」という選択肢がたちまち消えて、馬一辺倒で生きていく道に突入したわけですね。

お父さんは「たまたま本を手にした」と言いますが、ふらりと立ち寄った本屋で、その後の人生を決定づける運命的な本と出会う、運命的な情報を引き寄せる、ということは、人生の重要な分岐点で割と起きることであるように思います。

ちなみに私も「たまたま手にした本」が運命の導き手になったことがあります。
大学を卒業して、「イラストレーターになりたいなあ」と思っていたものの、なり方がまったく分からなかったときに、雑誌に有名らしいイラストレーターの方のインタビューが載っていて(荒井良二さんという、とても有名な絵本作家だったのですが、当時はまったく知りませんでした)、そこに「居酒屋でバイトしてたらお客さんからイラストの仕事を頼まれて、それが最初のイラスト仕事だった」といったことが書かれていたのです。
それを読んだ私は「そうか! 居酒屋で働けば、イラストレーターになれるんだ!」と思い込んだのです。

すごくおかしな考え方というか、ひどい勘違いなんですけれどね……。
普通に考えると、たまたま居酒屋のお客さんがイラストを頼んでくれただけという話であって、居酒屋で働けば確実にイラストレーターになれる、なんてことはないわけですから。
なのに当時の私は、なぜか「居酒屋で働けばイラストレーターになれる!」と思い込みました。こういう変な思い込みを、ときどきやってしまうのです。
ところが、その思い込み方があまりに強烈だったせいか、居酒屋さんでバイトしていたら、本当にお客さんから「うちの会社でイラストレーターとして働かないか?」と声をかけてもらって、めでたくイラストレーターとして働きだすことができました。
本屋さんで気になる本をあれこれチェックしていると、思いがけず自分の運命を変えることになる情報と出会えるかもしれません。

ところで、G1さんからうかがったハーモニィカレッジでの生活は、まさに「自由!」という感じでしたが、親の立場からはどんなふうに見えていたのかについてうかがってみました。

お父さん お父さん
実際に現場に行って自分自身も馬とふれ合ってみたことで、なるほど馬とのふれ合いによって人としての心が成長するというのは、そうだろうなということは実感しましたね。
馬は人間のように嘘をつかない、大人の人間や同い年の人間より、馬というのは正直者だから、そういう生き物とふれ合うというのは、いい刺激になるだろうなと思いました。

ただ、子どもたちには安心感を与える育成方針だと思う一方で、社会で生きていく力を養うという意味では、これから成長していく子どもたちに必要な教育とか、基本ルールとしては、ちょっと弱いかもしれないなという印象も持ちました。

学校教育の中で育ったら、良い友だちも悪い友だちもいるし、良い面悪い面の両方を体験するので、良いことも悪いこともある社会の中で生き抜いていく力は養われるじゃないですか。
私は企業勤めで社会の裏も表も見てきてたので、ハーモニィカレッジの育成方針は、心を育てるという意味ではいいかもしれないけど、企業の中でバリバリ出世していくとか、競争社会を生き抜く力を養うという意味では弱いかもしれないな、とは思いました。

ただ、そういう中でもG1は今のように成長できているので、G1にはたまたま合っていたということかもしれないですけど、ハーモニィカレッジには、競争社会で生き抜くとかいうのとは違う面で、なにかいいところがあったのかなあと思います。その点はG1本人に聞いてもらえたらと思いますが。

お父さんの言うように、一般的な中学校に通うと、確かに良い子も悪い子も、気の合う子、合わない子、さまざまな人がいる環境を体験できるというメリットがあるなあと思います。
一方で、そういった環境が合わない状態になったとき、例えば他の学校に転校するとしても、日本国内の学校だと、おおむね教育方針や教育要項が一律で、どこの学校に行っても、たいして違いのない環境で過ごさないといけない、というところが辛いところだなあとも感じます。

だから、ハーモニィカレッジのような場所に限らず、さまざまな考え方、教育方針をかかげるユニークな学びの場が、多彩に存在していたらいいのになと思います。
例えば中学生くらいの子でも、人によっては同年齢の子より、大人たちにまじって過ごすほうがしっくり来る、という子だっているかもしれませんし、大人と子どもや若者が一緒に学べる環境があると、大人にも子どもにも刺激がありそうです。

そしてそういう環境の場がたくさん育つためには、まずは大人が、小学校や中学校や高校くらいのときに、どんな教育環境で生きたかったか、ということに、もっと思いめぐらす機会が持てたらいいのになと思います。
大人が変わらないと、子ども達の環境って変わらないですからね。この連載も、そういうことを思いめぐらすキッカケのひとつになれたらいいんだけどなあ、と思っているのですが。

また、お父さんのお話から、連載第15回でG1さんが語ってくれた以下の言葉を思い出しました。

「つくづく思うのは、学校で成績をつけて競争させるっていうのは、日本という国全体の成長力とか、そういうことを考えたら必要だと思うのかもしれないけど、人間ひとりひとりのメンタルクオリティは、確実に早めにつぶされちゃうんじゃないかなあと思いますね。」

興味深いことに、「学校教育のように競争のない場所」で多感な時期をすごしたG1さんなのに、その後の高校、大学、社会人になってからの道のりは、馬術や競馬の世界で、徹底的に競争に勝っていく、という道のりを歩んでいるんですよね。
競馬は勝負師たちの世界ですから、一般の企業よりももしかしたら勝ち負けにシビアな世界かもしれません。

なんだかおもしろいなあと思います。大人の目からすると、「競争の中で生き抜くには弱いのではないか」と見えた育成方針の中に、実は逆転的に、暴力をふるわれても折れないほどの強さや自信を養うなにかが潜んでいたわけですよね。

競争社会の中で鍛えられることで伸びるタイプの人もいると思いますが、そうじゃないタイプの人は、早々にドロップアウトしてみるというのは、思わぬ可能性を見つけるための方法のひとつじゃないかなと思います。

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