理論社

第18回

2021.02.01更新

自分の道を見つけたい! 最終回 G1さん篇6

大人たちが自分を信頼して放っておいてくれたから、
自分も後輩を信頼して見守ることができた

G1さん G1さん
ハーモニィカレッジ時代、ヒロさんもシュートも、本人が自分で学習して分からないところが出てくるなどして「どうしたらいい?」と聞いてこないかぎり口出ししないという姿勢は共通していて、なにも強要されないという環境で過ごしていました。
このことは、今も自分が後輩を育てるときの指針になっているように思います。

なぜかというと、馬に乗る技術って、どれだけ口で説明しても絶対に伝わらない部分があるんです。
例えば一ヶ月のスパンがあれば、乗る人間の側に技術の差があると、明らかに馬のほうが違う馬になるんですよ。馬が良い走りをするようになったかどうかが、嫌でも分かるんです。
そうなったときに本人が自分で気づいて、「どうしたらいいんですか?」と聞いてくるくらいじゃないと、いくら口で教えても理解や成長に繋がらないですから。

以前に、高卒で馬の世界に飛び込んできた子を指導したことがあるんですが、その子は最初は寝坊とかしてた子だったんですよ。
そういう子も、「なぜ寝坊したらダメなのか」ということを自分で気づくまで見守るように努めました。無策のために同じ失敗を繰りかえしたり、危険な事故に繋がるようなことをしたときは叱ったりもしましたが、心配しすぎないように、その子を信頼して見守る姿勢を大事にしようと思っていました。

馬が好きで入ってきた子だから、「こいつなら自分で気づくだろう」「分からないことがあったら自分から聞いてくるだろう」と、余計な口出しをしないようにしました。自分で工夫してやっていく方が身になるという経験を、自分もしてきたから。
それで、ちゃんと朝起きて馬の世話をするようになると、馬が変わってきて、きちんと結果が出せるようになるんですよ。
そうやって自分で結果を出せると、朝寝坊なんかしなくなるんですよね。朝のエサやりが大事だってことが分かってくるから。
そしたら、その子がJRAの厩務員試験に合格したんですよ。相当に若い年齢での合格になります。その子のお父さんがとても喜んで、「息子がこんなに成長したのはG1さんのおかげです」と電話をくださったんです。すごく嬉しかった出来事ですね。

そんなふうに後輩を信頼して見守ることができたのは、ハーモニィ時代に、ぼく自身が大人たちに信頼してもらって、放っておいてもらえたからだと思います。

それと、ぼくが人とつき合う上で気をつけているのは、どれだけ若い人でも、その人との関係性が出来ていない、知られていないと判断しているうちは敬語を使うようにしています。これもヒロさんの影響だと思います。
もしもぼくが、高校や大学の馬術部のような暴力もあるタテ社会の中だけで育ってきてたら、確実に年下を見下していたんじゃないかと思います。また、技術的に上手いからといって増長することもあったと思います。絶対に人間って、人より抜きん出ると調子のってしまうところがありますから。

でもヒロさんは、中学生の自分にもまったく対等に向き合ってた人でした。ヒロさんは、相手が子どもでも大人でも、同じようにつきあってたと思います。相手がどんな仕事してても、どんな人でも、偉そうにしたり、逆に媚びたりとか、人によって態度を変えるということがない人だったと思うんですね。
そういう大人の姿を見てたから、どんな人も、どんな仕事をしてる人も、どこの国の人でも、どんな性格の人でも、みんな必要な人なんだ、その人がいてくれるおかげで、自分も生かされてるんだって考えるようになったんじゃないかなと思いますし、これは決してこれから先も忘れてはいけない事だと思っています。

ハーモニィカレッジ編で大堀さんが言っていた、「朝起きてこない子も、馬のようすが変わるから、それを感じて変わってくる」という話を思い出しました。
G1さんのお話を聞いていると、お父さんの生き方や、ハーモニィのヒロさんや大堀さんの生き方が、G1さんの中に脈々と受け継がれ、それがまた次の世代の人にも受け継がれているんだなあということがよく感じられるように思いました。
そしてその間には、人ではない生き物が介在していて、人から伝えるのでは伝わらない核となるなにかを、言葉じゃない方法で教えてくれているんだなあ。 人はひとりでは生きていけないし、まわりのあらゆるものが助けになってくれて、ひとりの人間が育つんだな、ということを感じます。

「自分で気づくしかない」の話は、絵の分野もまったく同じです。
私自身、ずっと絵を描いてきた中で、長らく「どんな絵が自分らしい絵なのか分からないなあ」とスッキリしない気持ちで描いていたのですが、あるとき急に「あ! なにかがつかめた」という感じがして、ガラッと絵が変わったことがあります。
そうやって絵が変わったことによって、急にまわりの人から「絵がよくなったね」と言われることが多くなり、さまざまに絵の仕事の依頼もいただくようになりました。

これは、どうして変わったのかと、確かに言葉では伝えようがありません(笑)
しいていうなら、「生きてきたこと自体が絵を変えてくれた」としかいいようのないものと感じています。
そんなふうに、生きていると、ビックリするような変化が訪れる瞬間って、誰にでも必ずあると思うんです。
だから、「生きること」っておもしろいんだ、とも思います。

私は高校生のころは美術大の受験予備校に通っていたのですが、まわりには絵のうまい子がたくさんいたので、打ちのめされて、自分には将来、絵描きとして生きていくような才能なんかないだろうと思っていました。
この頃がいちばん自分の力や可能性を信じられてなかったです。
でもずっと生きていると、人間は変化するし成長するし、誰もが可能性の宝庫なんだと気づいていきました。
私は今でも「うまい」という絵を描けるわけではありませんが、自分にしか出せない味のようなものは、すこし見つけられた気がしています。
なにかを追求していくと、誰でも、思いがけない自分を自分で発見することが、きっとあるんじゃないかと思います。

第18回-2画像

さて、最後に「自分の道」を見つけるために、大事なことってなんだと思いますか? とG1さんにたずねてみました。

 
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