理論社

第5回

2020.07.01更新

自分の道を見つけたい! 第5回

自分ひとりでは生きていくことができない
そのとき、どうやって生きていく?

「行けるところまで行こう」と、ハーモニィカレッジを立て直すために奮闘する日々の中で、一見ささやかな、けれど後々まで響く意味ある出会いが、大堀さんのもとに訪れたといいます。その出会いとは?

大堀貴士さん(シュート) 大堀貴士さん
(シュート)
で、そうやって学ぼうとしているときに、衝撃を受けた出来事があったんよ。

ポニーキャンプには、障害のある子たちもけっこう来てるんやけど、その中にりょうくん(仮名)という知的障害のある子がおってんな。
で、キャンプの懇親会のときに、なんでここに来たかを自己紹介と一緒にしゃべってもらうんやけど、そのとき、りょうくんのお母さんが、こう言うてん。
「うちの子は障害があるから、一生、自分ひとりで生きていくことは出来ないんです。でも、いつか私のほうがこの世から先にいなくなる。
だからこの子には、自分ひとりで生きていくことは出来ないけど、その代わり、いろんな人に愛されて、この子のことを助けたいな、力になりたいなって、人から思ってもらえるような、そういう子に育って欲しいなと思って、キャンプに送り出しています」

そして、自立について、こう言いはった。
「この子は、自分だけの力で生きていくという自立はできない。けれどその代わり、いろんな人に支えてもらえる子、支えたいなと思ってもらえる子になって欲しい。支えられながら立つ、という自立の道を歩いて欲しいなって思ってるんです」

それを聞いて、オレは衝撃を受けてなあ。
「自立」に対する考え方が変わったんよ。
それまでのオレは、自立っていうのは、人様に迷惑をかけないで生きるとか、自分で経済を産みだしていくとか、そういうのが自立だという思い込みが、まだまだ残ってたと思うねんけど。
そうか、人から愛されて、支えてもらう、支えたくなる、という形の自立もあるんやなあと思った。
それって、支えてるほうの人も、やり甲斐があったりとか、なにかを学んだりとかするわけやん。そうやって、支えて、支えられることで、お互いに与えあうという自立もあるんやなあと。

大学生の就職活動時に「男は稼いで、経済を産みだして自立するもの」という価値感とぶつかりあい、「そうじゃない生き方」を選んだ大堀さんでしたが、数年後に「自立とは」という問題に再び出会い、問いなおされたようです。

そしてその答えを与えてくれたのは、「経済を産みだす」という意味ではもっとも弱い立場にいるだろう、障害を持った子だったのですね。

大堀貴士さん(シュート) 大堀貴士さん
(シュート)
その時に、そうか、障害のある子の親御さんはそんな気持ちなんやなあと知って、障害のある子も、みんなに愛されるようになる、そんなキャンプにしたいなと思うようになった。それと同時に、ハーモニィカレッジも、そういう「みんなに愛されて、支えてもらえるような自立」を目指そうと思ったんよ。

オレたちは、自分らのやってる事に自信は持ってたし、知ってる人はいいと思ってくれてたんやけど、ヒロさんは「会員になってください」とか「寄付をお願いします」といったことを、ほとんど言わないタイプの人やったんよ。だけど、もう馬のエサ代も厳しいという状況になってきたときに、設立以来はじめて、やんわりした寄付のお願いの手紙をペラッと一枚、関係者とか、これまでの参加者に送ったんよ。

そしたら、あちこちから「ハーモニィカレッジは大丈夫なのか」と、たくさん連絡が来た。
「なんでもっと早く言わなかったんだ」「そんなことなら、まず私に言ってくれ」と、過去に寄宿生だった人も含めて、いろんな人から激励もお叱りも受けて、自分たちにとっては大きな額の寄付が集まったんよ。それで、ぎりぎり倒れはしない状態、支えられて起こされたことで、なんとか立っていられる、という状態になった。
そして、寄付と同時に、いろんなアドバイス、「もっとこうしてみよう」とか「こういう方法はどうかなあ?」とかいった知的支援も受け取ったんよ。それで、とにかくもらったアドバイスや対策案に、素直に取り組んでいった。

ほんなら今度は、いわゆるV字回復ってやつ、そういう状態になった。
倒れかけている棒をみんなで支えて起こしてもらって、かろうじて斜めに立てるようにしてもらって、徐々に今度は真っ直ぐ立てるようになっていった。

「自分ひとりで立つ自立」を出来ていると考える状態とは、ともすれば、単に自分という生命を支えてくれている無数の存在が見えていない状態なだけかもしれないな、とも私は感じました。 そして、「みんなに愛され、支えられながら生きる自立」とは、自分だけじゃなく、自分を支えてくれている数多の存在(それは人だけに限らない)までも、しっかり認識しながら生きることかもしれないなあ、と。

第5回-1画像

今回の取材に際して、かつて不登校でハーモニィカレッジの寄宿生だった方に連絡を取ると、「ハーモニィのためなら何でもします!」という声が返ってきたのが印象的でした。忘れ得ない恩がある、という熱量が伝わるようでした。

少なくない数の不登校の子たちが立ち直った背景には、「行けるところまで行こう」と、利益度外視で奔走した人たちの姿があり、そして、その奔走する人たちの助けとなる言葉を発した、障害者の子とそのお母さんの姿があったのですね。

大堀さんは、「障害のある子を育ててる親御さんっていうのは腹をくくってると感じることが多いなあ。どうやっていろんな人と生きていくか、ということを必死で考えるやろうしね」と言います。

近年の障害者施設での無差別殺人事件などの痛ましい出来事が、ふと胸に浮かんだ私は、「本当は障害を持った子たちがいることで、すごくこの世界が育まれている、大事な部分が保たれているってことがあるんじゃないかなって思うのですが……」と尋ねてみました。

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