理論社

第12回

2020.10.15更新

自分の道を見つけたい! 第12回 ここいろ篇6

戸籍も体も、女から男になって生きていく

彼女や先輩の後押しを得て、自分のセクシャリティをオープンにしていく決心をした當山さんは、24歳のときに名前を「あづさ」から「あつき」に変え、25歳でタイに渡って性別適合手術を受け、その2ヶ月後には戸籍を女性から男性に変更します。
それらのことを、両親には相談せず、すべて自分ひとりで決断、決行したそう。
そんなふうにひとりで何もかも決める性格になったのは、酔って暴れる父親から、母親や妹をかばってきた過去が影響していると當山さんは言います。
「自分で全部やらなきゃいけない」「強くならなきゃいけない」と思いつめてきたのです。

そんな當山さんに、またひとつの転機が訪れます。

當山さん(あっきー) 當山さん
(あっきー)
大学を卒業して、学童保育の仕事をしたあと、訪問介護の仕事に就いたのですが、そこでぼくも高畑さんと同じで、心身を壊して鬱状態になりました。
会社で児童向けのサービスを始めることになって、一人で仕事を抱えすぎたことも原因ですが、もうひとつは、会社の方針と合わず、「まるで子どもをお金と見ているようだ」と感じて苦しくなったんです。
この頃はすでに高畑さんと出会って「ここいろhiroshima」の活動をしていたので、外に向けては「自分らしく生きよう」なんて言ってるのに、仕事では子ども達を収入源としか見なさないようなことをやってるし、全然自分らしくない。その矛盾に耐えられなくなりました。

鬱状態になったことで退職し、何もやる気にならないので、半ば強制的に半年ほど「なにもせずに休む」という日々を過ごしました。
これまで、「自分で全部やらなきゃだめだ」「強くなきゃだめだ」と思い込んでいた自分が、「人に頼って休む」「休んでもいいんだ」ということを覚えたんです。
そんなふうに思うことができたのは、高畑さんと出会っていたおかげなんですよね。
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高畑さんや當山さんが心身を壊した理由のひとつが、「子ども達にうそをついている状態がしんどかった」という話に、私は強いシンパシーをおぼえました。 なぜなら、私自身も二人と同じような矛盾に苦しんだからです。
私は幸運にも、子どもの時からの夢だった「絵描き、絵本作家、児童文学作家」という職業に就くことができました。本来なら楽しくて仕方ない人生を歩めそうなものですが、次第に苦しさを感じるようになったのです。

ミュージシャンに例えると分かりやすいかもしれません。音楽が楽しくてバンドをやっていたら念願のプロになれ、最初は喜んでいたものの、「売れるためには大衆受けする音楽を作らなくちゃ」なんて悩み苦しむロックミュージシャンの姿は、マンガや映画などにもよく登場しそうです。
まさに私も、そんな悩みの穴に落っこちたのです。「自分が本当に突きつめたいのはこういう表現だけど、これじゃ売れないかもしれないから、もっと分かりやすくて、みんなに好かれそうなものを作ったほうがいいかな……」なんてことを思い悩んでいたような気がします。
悩みながら、時には「社会が悪いんだ」「理解しない周囲が悪いんだ」なんて、自分以外の誰かのせい、外側の環境のせいにして、いら立ちをぶつけていたこともあったように思います。

でもそれって実は、単に自分自身が「本当に自分が心からやりたいこと」を追い求めて歩く勇気を、持てていなかっただけじゃないかなあと、あるとき気づきました。「本当の自分の気持ち」を、いちばん無視していた犯人って、自分自身なんじゃないかな、と。
環境や他の誰かのせいにしてたけれど、自分さえ自分の声を真剣に聞いて、「本当の気持ち」と手をつないで、勇気をもって歩いたら、もっともっと、今まで見たことのない新しい景色の場所に行けるんじゃないかと、そんなふうに考えるようになっていきました。

當山さんにとっても、会社の方針とぶつかり合う機会は、「自分の声をいちばん聞いていなかった自分自身」に気づいて、本当に行きたい道に進むために必要な、大事な機会だったのかもしれないなと思いました。

そして當山さんは一時、鬱状態となって苦しみますが、けれどそれが布石となって、ずっと憎くんできた父親との関係に変化が訪れます。

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