理論社

第12回

2020.10.15更新

自分の道を見つけたい! 第12回 ここいろ篇6

當山さん(あっきー) 當山さん
(あっきー)
広島に来て実家と離れて距離ができたことで、ぼく自身、家族のことを少し冷静に見られるようになってきていました。
両親もぼくが滅多に帰らない人間になったことで、たまに帰ると「じゃあ、みんなでご飯食べようか」なんて言ったりして、それまで一緒に食卓を囲むことなんかないような家だったのに、妹の子どもが出来たことも弾みになって、みんなで食卓を囲むようになりました。

そういう機会に、父親が酔っ払って、「俺はお母さんに人生を狂わされたんだ!」とわめいたんです。
そのときに、ぼくが、
「なんでそんな人のせいにするの?」
「頼りたいなら、もっと頼ればいいじゃん」
と言ったんですよ。
すると、父親が、いきなり泣きだしたんですね。そんな姿は初めてでした。

そのときにようやく、「ああ、お父さんはさびしかったんだな」と、父親の心が理解できた気がしたんです。
ずっと家族の中で嫌われもので、みんなから邪魔者と思われて、さびしかったんだなあと。
父親に「頼ればいいじゃん」と言えたのは、ぼく自身が鬱になって、「人に頼らないと死んでしまう」「休まないと死ぬ」という状態を経験したからだと思います。
そして、「頼っていいんだよ」と思うことができたのは、高畑さんと出会ったからなんですよね。

その一件のあと、別の機会に、また父親が酔っ払って、今度は気分がよくなっていたときに、「あつき」と、ぼくのことを男名で呼んでくれたんですよ。
家族でぼくをはじめて「あつき」と呼んでくれたのは、父親でした。
それ以来、帰省するたびに、なんとなくぼくのことを理解しようと努めてくれる姿勢を感じるようになりました。

高畑さんも自分が心身を壊して休んだ経験があったからこそ、當山さんに「頼っていいよ」「休んでいいんだよ」と言えたのでしょうね。その経験がさらに、當山さんのお父さんの心を溶かすことへも繋がっていったようです。
私もこの當山さんのお話を聞いて、不器用なお父さんの気持ちがふわっと伝わってくるような気がしました。

セクマイバーに来ていた、我が子がセクシャルマイノリティだという親御さんがこんなことを話されていました。

「自分は『男は〜でなきゃ』という価値観で生きてきたから、子どもの主張をずっと認められなくて、長年、激しくぶつかってきた。でも、どんなふうでも、やっぱり子どもは可愛いんです」

涙を浮かべて語る姿がとても印象的で、胸がつまりした。
この方は、「なんとか子どもを理解したい」と、子どもさんには内緒でひとりでセクマイバーに参加されていたのです。
當山さんとお父さんとの関係も、27年の月日をかけてようやく少し雪解けが見えはじめたという段階です。親子間に限らず、人間同士の確執は、解きほぐすのに長い年月を要することが多々あると思います。

けれど、長い年月をかけて真剣にぶつかりあったからこそ、雪解けの瞬間、この上ない喜びや、生きることの深い意味を感じる、ということがあるのではないでしょうか。
セクマイバーに一人で通っていた親御さんも、いつの日か、「子どもを理解したい」と願った姿を、その子ども自身が知ることになるときが来るのかもしれません。
そのとき子どもは、何を思うのでしょうか。
自分の知らないところで、懸命に理解しようと努力していたお父さんのことを知ったとき、どんなふうに思うんだろうなあ……。

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