理論社

第15回

2020.12.01更新

自分の道を見つけたい! 第15回 G1さん篇3

G1さん G1さん
寄宿生はみんな強烈な個性がありましたよ。例えばビーンっていう奴がいたんですけど、めっちゃすぐ怒る奴なんですよ(笑)なぜか常に上から目線、みたいな奴でした。
でもそういう奴でも、その場でこっちも言いたいこと言ってるし、ケンカしようがどうしようが、いつも一緒におるからしゃーないしって感じで、嫌いになるとか、引きずったり陰湿になる感じがぜんぜんなかったんですよね。

その理由は、どんな個性の子にも、それぞれにちゃんと居場所があったからだと思いますね。
「なにかあっても、絶対に見捨てられないだろうな」という安心感があったんです。
人間って、大人だってそうだと思いますけど、「こういうことしたら関係を切られるかも」「会社クビになるかも」なんて具合に居場所が失われると思うと、いちばん恐れや不安を感じるじゃないですか。
子どもの中でも、親や友だちや学校に対して、「切られたらどうしよう」っていう思いってあると思うんです。
そういう意味で、ヒロさんもシュートも共通して「この人たちは絶対に許してくれる」「絶対に味方でいてくれる」と感じさせてくれる人でしたね。

当時は、ヒロさんは、単に話をよく聞いてくれる人だなってだけでしたけどね。だって中学生男子からしたら、おじさんと話しても別に面白くもないじゃないですか(笑)
でも学校の先生とは明かに異質でしたね。子どもに対して、「子どもだから」とか全く思ってない人だったんだと思います。ひとりの人間として対等に見てくれていた。
そして、「ただ、そこに居てくれてる」という感じの人でした。

そういう「この人は絶対に味方でいてくれる」っていうことを、子どもに本当に感じさせるって、すごいことだったんだなと、大人になってから偉大さを理解しましたね。
だって、子どもって上辺だけの態度とか、お世辞とかって、絶対に見破るじゃないですか。
そしてこれは子どもでも、大人になった自分でもそうなんですが、そういう安心や信頼を感じさせてくれる人がいると、その人のことを大事にしたいと思うし、その人を悲しませるような事はできないなと思うから、変なことはできないぞっていう思いに繋がっていくんじゃないかと思いますね。

G1さんの言う「変なことはできない」「悲しませることはできない」というのは、「悪いことはできない」という意味もあると思いますが、もっというと、「自分自身を大事にしないような行動をできなくなる」っていうことじゃないかなあ、と感じています。

例えば犯罪に手を染めたり、他の人を傷つけたりいじめたり、自分の体を傷つけるようなことをしてしまうときって、掘り下げると「自分自身の心や体を大事にできてない」という状態だと思うのです。
「自分を大切に思って、味方でいてくれた人」がひとりでもいたという経験が心と体に沁み込んでいると、道を踏み外しそうになったとき、その人のことが思い浮かんで踏みとどまれるということがあると思います。

そういった「味方」は、多くの場合、親であることが多いですが、親と良好な関係が築けなくて辛い思いをする人もたくさんいると思います。
ハーモニィカレッジのケースは一例に過ぎませんが、こういった味方になってくれる人との繋がりは、求めるのをあきらめない限り、きっと誰かに繋がると、私は思っています。
ここいろ編の當山さんや高畑さんのお話でも、苦しいときに助けてくれたり、苦しみから抜け出すヒントやキッカケを与えてくれる人が、不思議と現れているのが印象的でした。

ところでG1さんは、寄宿塾に入ってから、一時、鳥取の中学校に転校手続きをして学校に通おうとしたことがあったそうです。ところが、やっぱり数日で行かなくなってしまったそうです。なにがあったのでしょうか。

 
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